沖縄の伝統芸能エイサー。園田青年会公式ホームページ。

園田エイサーバナー
The copyright of the edit copyright of sentences of
this site and images and all materials belongs
to "SONDA-SEINENN-KAI" and "Q-na".

園田エイサー・園田青年会の画像ランダム表示1 園田エイサー・園田青年会の画像ランダム表示2 園田エイサー・園田青年会の画像ランダム表示3 園田エイサー・園田青年会の画像ランダム表示4 園田エイサー・園田青年会の画像ランダム表示5 園田エイサー・園田青年会の画像ランダム表示6
エイサーランダムギャラリーの画像はランダム表示されます。同じ画像が表示される場合もあります。

  • 園田青年会トップページ
  • 園田青年会・エイサーについて
  • 園田青年会の歴史
  • 園田青年会参加イベント
  • 園田公民館・BBS
  • 園田青年会・特集(村廻り)
  • 園田青年会・フォトギャラリー
  • 園田青年会・エイサー関連リンク

園田エイサ-の歴史

「園田(そんだ)エイサ-」は、旧越来村(ごえくそん)西里(にしざと)部落の 「*ヤキマ-ジエイサ-」が戦後園田に移り、 今に引き継がれているのである。 園田は昔、原野になっていた所で人々が移住してくる前は、 佐運田原(さうんだばる)と呼ばれていた。終戦後は、国頭から引き揚げてきた山内(やまうち)、 諸見里(もろみざと)、山里(やまざと)などの人たちが住んで諸見里区に含まれるようになった。 それから各地からの移住者が多くなって「園田」という地名になった。
*「ヤキマ-ジ」とは当時の部落名

 現在の1~3班あたりには旧越来村西里部落の人たちが多く住みはじめ、それと同時に西里部落出身の人達で 「西里エイサ-」を始めるようになった。1959年(昭和34年)からは西里出身者だけでなく園田区民も加わって エイサ-をするようになり名称も西里青年会から園田青年会に改められた。
西里青年会の頃の写真(西里青年会の頃の写真)

この年から女性も加わるようになり会員数は100名を越えた。さらにこの年から、これまでのエイサ-衣装である黒地の 着物から現在の頭巾、ジュバン、ウチカケ、帯、脚絆というスタイルに変わった。

 現在一般的にエイサ-の衣装として知られるジュバン、ウチカケ、帯、脚絆というスタイルは、 園田青年会が最初に生み出したものである。園田エイサ-は西里エイサ-の型を崩さずに現在に至っており、 園田エイサ-の歴史は西里エイサ-の歴史とも言えるのである。

 園田エイサ-の特徴は、テンポの速い曲に合わせた大太鼓、小太の鼓力強いバチさばきと動き。男は勇ましく、 女は優雅で柔軟な手踊りである。曲と曲の切れ間がないのも園田が生み出したものである。