園田青年会
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沖縄市と近隣の宿泊情報園田エイサ-の歴史
「園田(そんだ)エイサ-」は、旧越来村(ごえくそん)西里(にしざと)部落の
「*ヤキマ-ジエイサ-」が戦後園田に移り、
今に引き継がれているのである。 園田は昔、原野になっていた所で人々が移住してくる前は、
佐運田原(さうんだばる)と呼ばれていた。終戦後は、国頭から引き揚げてきた山内(やまうち)、
諸見里(もろみざと)、山里(やまざと)などの人たちが住んで諸見里区に含まれるようになった。
それから各地からの移住者が多くなって「園田」という地名になった。
*「ヤキマ-ジ」とは当時の部落名

この年から女性も加わるようになり会員数は100名を越えた。さらにこの年から、これまでのエイサ-衣装である黒地の 着物から現在の頭巾、ジュバン、ウチカケ、帯、脚絆というスタイルに変わった。
現在一般的にエイサ-の衣装として知られるジュバン、ウチカケ、帯、脚絆というスタイルは、
園田青年会が最初に生み出したものである。園田エイサ-は西里エイサ-の型を崩さずに現在に至っており、
園田エイサ-の歴史は西里エイサ-の歴史とも言えるのである。
園田エイサ-の特徴は、テンポの速い曲に合わせた大太鼓、小太の鼓力強いバチさばきと動き。男は勇ましく、 女は優雅で柔軟な手踊りである。曲と曲の切れ間がないのも園田が生み出したものである。